京城日報 1943-02-26
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- Publication date
- 1943-02-26
- Collection
- kjnp-archive; newspapers; eastasia-periodicals
- Language
- Japanese
Japanese newspaper published in Korea until 1945. Includes early issues under title 京城新報 and 朝鮮日報
- Addeddate
- 2021-10-03 15:56:26
- Identifier
- kjnp-1943-02-26
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February 24, 2022
Subject: 内面的結合主義の勃興
Subject: 内面的結合主義の勃興
国体の本義と道義半島(五)
鎌田沢一郎
内面的結合主義の勃興
分析精神主義にとって代わる
かくて西欧は自然科学と技術との領域に於いて未曾有の大変革を人類社会に齎し、時間的、空間的に世界の距離を短縮せしめ、地球が統一有機体であるとの自覚を世界に与えた。この点に於いて吾々は近代西欧文明の偉大なる功績を讃美する。従ってその根柢をなした自由主義、個人主義の思想は十九世紀を通じて社会を支配し、華々しい進歩の歴史を造り上げた。
今日までの人類文明史上、最も華やかな、最も崇める最も進歩したる時代であったといえる。
しかしながら他面において、それが眼に見えぬ大なる弱点と短所とを包蔵していたのである。即ち近代文明は人間存在に関する深奥なる精神問題のあることを閑却していた。自然物質の領域の外に精神の王国あることを無視していた。人々は神の掟と社会の凡ての制約的秩序から解放せられることを自由と考えた。ここに個人主義の醗酵素たる近代自由の理念が発生したのである。
かくして中世文明の反動として勃興し来った自由主義は当時の暗黒を打ち破って、近代的意味に於ける「人間」を発見せしめた功績は人類永久の真理であるかに考えられて来たが、個人主義、唯物主義の極まるところ、遂にその自家中毒を起して、現在我々の前に曝け出した姿は、凡ゆる生活領域に於ける無政府状態である。
即ち主観主義、合理主義、実証主義の齎したものは懐疑主義、物質主義、生存競争主義であり、宗教改革の残したものは、伝統と権威を失い、精神の帰順するところなき信仰の無政府であり、契約説、功利主義の到達したるところは、政治上の無政府傾向であり、自由放任主義の経済原則の到達したるところは現代社会不安の根元たる経済的無政府である。
要するに自由主義文明は人類共同社会の秩序と平和を維持し能わぬことは今や明瞭となり、人間の相互信頼関係と、民族の内面的国際関係はいよいよ基礎を失うがごとき矛盾に満ちた現象が現れ始め、遂に第一次欧州大戦となり、戦後に於いては一時分裂と対立と闘争と無統制との一般的傾向はますます助長せられ、さらに西欧文明の本質そのものに対する悲観的批判が広く行わるるに至り、オスワルド・シュペングラーの「西欧の没落」が世界的話題となり、更にそれが飛躍して第二次世界戦争に於いて実証さるるに至ったのである。
茲に於いて世界は再転して、自然の領域の外に精神の王国あることを確信し、知性の濫用による極端なる分析と功利化と卑俗化より起ち上がらんとするに至った。
木を見て森を見ざるが如き近代の分析精神を排して、知の外に感情や意欲を含めて豊かな全体的、具体的な心情のあることを確認し、人と人との内面的結合による全体を視ることによって、その建て直しを図らんとするに至ったのである。
まず伊太利におけるファシズムの勃興はその一の現れである。ファシズムはマルクス理論家のいうがごとき資本主義の再編成でもなければ、又ロシア革命への単なる保守主義的反動でもない。ファショというイタリー語は「結束」を意味する。即ち今まで弛緩し分裂し来った所のものを緊張せしめ、統轄せしめることである。
故にファシズム即ち結束主義は、先ず第一に分裂的なる個人主義に立つ資本主義を克服するとともに、また他方社会をブルジョアとプロレタリアの二階層にのみ分かち、階級闘争によってプロレタリアのみの独裁政治を確立せんとする共産主義をも克服し、新たに全体的有機的なる共同社会を建設せんとするものである。ファシズムの原理は明かに全体主義的哲学理念である。
ムッソリーニはいう、「ファシズムは輸出品ではない。それは典型的なるイタリー的現象である。だがその理論のあるものは普遍的である。何となれば多くの国が自由主義的、民主主義的制度の堕落に苦悩しているからである」と。
その言のごとく、ファッショ運動はイタリー固有のものであり、欧州大戦後の特殊なる環境に置かれていたイタリーに於いて勃興し、国際的に統一された理論として生れたものではない。しかし乍ら、それを契機として、これと同様なる社会傾向および運動形態が世界各国に於いて次々と見られる様になった。
勿論それらは外見的に夫々特異なる相を示しているが、本質的には一つの共通的なる傾向によって貫かれているが故に、その運動および理論を単にイタリーにのみ極限することは出来ないのである。
次はナチスの勃興である。一九一九年ミュンヘンに於いて初めて微小なる姿を現したドイツ国民主義社会労働党は、これまた世界史に比類なき急速なる躍進を続けて今日に及んだが、この運動に対しても我国の学者、思想家、評論家の殆どすべてが自由主義的世界観に立ち、兎角これを白眼視来り、甚だしきに至りては「思想的に無内容なる暴力運動」なりとさえ評し来ったのである。
しかし乍ら今日このナチス運動の精神的基礎を冷静に観察すれば、それは個人よりも民族を重んじ、民族生命をもって絶対的なるものとし、従来の個人主義的世界観に対し、新たに民族全体主義の世界観を確立するに至ったのである。
蓋しナチスの勃興についても幾多の原因が存在する。就中重要なる原因の一つは欧州大戦後の社会的事情である。欧州大戦後の試練を通じて人々は、社会主義者の主張する労働者の国際的団結よりも、民族社会の成員が本能的な感情を以て、共同社会に結びつく力の方が遥かに強大である事を如実に体験した。
加うるに大戦後の世界経済は未曾有の不況に遭遇し、各国は夫々国内的にも、国際的にも種々の応急方策を講じたが、それは殆ど何等の効果を齎さなかった。かくて各国は国内的には全体の福利のために資本主義に国家的統制を加え、国外的には国民の威力を発揚せんとする政策を採るに至った。かかる傾向はいずれの国にもみられたが、ドイツ、イタリーの如き国家的困難の大きい国にその傾向の強かったことは当然の現象である。
ドイツに於いては戦禍に因る疲弊、賠償金の支払い、失業者の洪水、政党の堕落、軍部の政党化によって、その混乱は特に甚だしかったのである。而も社会民主主義治下のマルキシズム的制度は独逸国民を没落に導く以外に何等の貢献を齎さなかった。かかる情勢下に於いてドイツに残された急務は、利益社会に立って社会主義を止揚し、民族国家的共同社会を結成し、国民的感情を昂揚し、没落一歩手前より大建設を目ざしての進軍を開始することであった。
蓋しイタリーの場合も、ドイツの場合も、かかる政治的、社会的現象の大なる背景をなすものに、自由主義の崩壊という文化史的原因あることを見逃してはならないのである。
鎌田沢一郎
内面的結合主義の勃興
分析精神主義にとって代わる
かくて西欧は自然科学と技術との領域に於いて未曾有の大変革を人類社会に齎し、時間的、空間的に世界の距離を短縮せしめ、地球が統一有機体であるとの自覚を世界に与えた。この点に於いて吾々は近代西欧文明の偉大なる功績を讃美する。従ってその根柢をなした自由主義、個人主義の思想は十九世紀を通じて社会を支配し、華々しい進歩の歴史を造り上げた。
今日までの人類文明史上、最も華やかな、最も崇める最も進歩したる時代であったといえる。
しかしながら他面において、それが眼に見えぬ大なる弱点と短所とを包蔵していたのである。即ち近代文明は人間存在に関する深奥なる精神問題のあることを閑却していた。自然物質の領域の外に精神の王国あることを無視していた。人々は神の掟と社会の凡ての制約的秩序から解放せられることを自由と考えた。ここに個人主義の醗酵素たる近代自由の理念が発生したのである。
かくして中世文明の反動として勃興し来った自由主義は当時の暗黒を打ち破って、近代的意味に於ける「人間」を発見せしめた功績は人類永久の真理であるかに考えられて来たが、個人主義、唯物主義の極まるところ、遂にその自家中毒を起して、現在我々の前に曝け出した姿は、凡ゆる生活領域に於ける無政府状態である。
即ち主観主義、合理主義、実証主義の齎したものは懐疑主義、物質主義、生存競争主義であり、宗教改革の残したものは、伝統と権威を失い、精神の帰順するところなき信仰の無政府であり、契約説、功利主義の到達したるところは、政治上の無政府傾向であり、自由放任主義の経済原則の到達したるところは現代社会不安の根元たる経済的無政府である。
要するに自由主義文明は人類共同社会の秩序と平和を維持し能わぬことは今や明瞭となり、人間の相互信頼関係と、民族の内面的国際関係はいよいよ基礎を失うがごとき矛盾に満ちた現象が現れ始め、遂に第一次欧州大戦となり、戦後に於いては一時分裂と対立と闘争と無統制との一般的傾向はますます助長せられ、さらに西欧文明の本質そのものに対する悲観的批判が広く行わるるに至り、オスワルド・シュペングラーの「西欧の没落」が世界的話題となり、更にそれが飛躍して第二次世界戦争に於いて実証さるるに至ったのである。
茲に於いて世界は再転して、自然の領域の外に精神の王国あることを確信し、知性の濫用による極端なる分析と功利化と卑俗化より起ち上がらんとするに至った。
木を見て森を見ざるが如き近代の分析精神を排して、知の外に感情や意欲を含めて豊かな全体的、具体的な心情のあることを確認し、人と人との内面的結合による全体を視ることによって、その建て直しを図らんとするに至ったのである。
まず伊太利におけるファシズムの勃興はその一の現れである。ファシズムはマルクス理論家のいうがごとき資本主義の再編成でもなければ、又ロシア革命への単なる保守主義的反動でもない。ファショというイタリー語は「結束」を意味する。即ち今まで弛緩し分裂し来った所のものを緊張せしめ、統轄せしめることである。
故にファシズム即ち結束主義は、先ず第一に分裂的なる個人主義に立つ資本主義を克服するとともに、また他方社会をブルジョアとプロレタリアの二階層にのみ分かち、階級闘争によってプロレタリアのみの独裁政治を確立せんとする共産主義をも克服し、新たに全体的有機的なる共同社会を建設せんとするものである。ファシズムの原理は明かに全体主義的哲学理念である。
ムッソリーニはいう、「ファシズムは輸出品ではない。それは典型的なるイタリー的現象である。だがその理論のあるものは普遍的である。何となれば多くの国が自由主義的、民主主義的制度の堕落に苦悩しているからである」と。
その言のごとく、ファッショ運動はイタリー固有のものであり、欧州大戦後の特殊なる環境に置かれていたイタリーに於いて勃興し、国際的に統一された理論として生れたものではない。しかし乍ら、それを契機として、これと同様なる社会傾向および運動形態が世界各国に於いて次々と見られる様になった。
勿論それらは外見的に夫々特異なる相を示しているが、本質的には一つの共通的なる傾向によって貫かれているが故に、その運動および理論を単にイタリーにのみ極限することは出来ないのである。
次はナチスの勃興である。一九一九年ミュンヘンに於いて初めて微小なる姿を現したドイツ国民主義社会労働党は、これまた世界史に比類なき急速なる躍進を続けて今日に及んだが、この運動に対しても我国の学者、思想家、評論家の殆どすべてが自由主義的世界観に立ち、兎角これを白眼視来り、甚だしきに至りては「思想的に無内容なる暴力運動」なりとさえ評し来ったのである。
しかし乍ら今日このナチス運動の精神的基礎を冷静に観察すれば、それは個人よりも民族を重んじ、民族生命をもって絶対的なるものとし、従来の個人主義的世界観に対し、新たに民族全体主義の世界観を確立するに至ったのである。
蓋しナチスの勃興についても幾多の原因が存在する。就中重要なる原因の一つは欧州大戦後の社会的事情である。欧州大戦後の試練を通じて人々は、社会主義者の主張する労働者の国際的団結よりも、民族社会の成員が本能的な感情を以て、共同社会に結びつく力の方が遥かに強大である事を如実に体験した。
加うるに大戦後の世界経済は未曾有の不況に遭遇し、各国は夫々国内的にも、国際的にも種々の応急方策を講じたが、それは殆ど何等の効果を齎さなかった。かくて各国は国内的には全体の福利のために資本主義に国家的統制を加え、国外的には国民の威力を発揚せんとする政策を採るに至った。かかる傾向はいずれの国にもみられたが、ドイツ、イタリーの如き国家的困難の大きい国にその傾向の強かったことは当然の現象である。
ドイツに於いては戦禍に因る疲弊、賠償金の支払い、失業者の洪水、政党の堕落、軍部の政党化によって、その混乱は特に甚だしかったのである。而も社会民主主義治下のマルキシズム的制度は独逸国民を没落に導く以外に何等の貢献を齎さなかった。かかる情勢下に於いてドイツに残された急務は、利益社会に立って社会主義を止揚し、民族国家的共同社会を結成し、国民的感情を昂揚し、没落一歩手前より大建設を目ざしての進軍を開始することであった。
蓋しイタリーの場合も、ドイツの場合も、かかる政治的、社会的現象の大なる背景をなすものに、自由主義の崩壊という文化史的原因あることを見逃してはならないのである。